6月30日読了
小倉生まれで玄界育ちな「無法松の一生」。その作品論(原作と映画(主に坂妻版))と、明治から昭和にかけて”無法松的なもの”はどう消え、どう残っているか、という本。
読み通すには、この独特の「大月隆寛節」につき合える忍耐が必要だけど、それでも読後感はよかったです。頑張って読む価値はある!
全体の8割は、その時代の感性に関する丁寧かつ思い入れの詰まった説明に費やされています。映画「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」(岩下俊作)について、“岩下俊作の生きた時代”と“彼が描いた無法松が生きた時代”それぞれのリアルな触感・匂いを、ぐいぐいと語りかけてくるこの本の熱量と口調は暑苦しくて少しうざい。
ところが、終盤、“では「奥さん」は無法松をどう思っていたのか”のあたりまで来ると、筆者自身の“男であることへの戸惑い”みたいなものと、無法松のそれとが一気に合流し、今までの話も整理がつき、ああそういうことか、と思わされる仕掛けになっていました。前半読みにくかったのは、筆者と無法松が近すぎるが故の冗長さ、過剰な意気込みが原因だったのかもしれません。
こうなると、昭和のあと2人の無法松・車寅次郎と、座頭市についても考えたい。っていうか、読みながら考えました。この3人って共通点が多いですよね(座頭市は初期の映画シリーズより、勝新が年をとってからのテレビシリーズの方が特に無法松っぽい)。
最後、ハナ肇と筆者自身の父親の話で幕を閉じるところはエモすぎて胸やけがしますが、その脂っこさ・切なさ・無神経さ・繊細さ・浅はかさ・不器用さ・やさしさ・かなしさ、全部ひっくるめて一気飲みしたあとの満腹感(満足感とは別物)が残りました。たとえば、森鴎外が小倉の人々に向けるまなざしの奥にあるもの、松本清張が岩下と共に過ごしだ時代を回顧した文章に潜む暗い影、そういうものににすぐ気づく筆者の細やかさなどです。
昨今、振り返られることが多い「昭和」ですが、その多くは戦後80年、もっと言えばここ50年くらいのカルチャーや政治であることが多いです。でも、昭和はもっと前から、戦前からあって、戦前というのはその前の大正時代・明治時代をひきずり、なんなら江戸時代の感覚だって残っていた時代で、今はそこらへんがすっぽりなかったことにされている気がします。酒臭くてたばこ臭くて脂っこくて暑苦しい男たちはこの令和の世の中をどんな顔して見てるのか、と思いを馳せた一冊でした。








